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都市伝説 怖い話22 伝承・実話 長野県や沖縄県

   

白い制服

昔、本で読んだ話ですが。日露戦争で当時、ロシア軍の機関銃手の体験。

910 :あなたのうしろに名無しさんが……:2004/02/18 21:10

二百三高地のトーチカで突撃を繰り返す日本軍に対し機銃掃射をしていたが、

黒い服の兵隊は撃つと倒れたが、白い服の兵隊はいくら撃っても倒れなかったとのこと。

当時、日本軍の軍服は黒い服で白い制服は無い。

915 :あなたのうしろに名無しさんが……:04/02/18 23:05

柳田国男の遠野物語拾遺の中の話ですね。

新潮文庫の『遠野物語』に載っています。
916 :あなたのうしろに名無しさんが……:04/02/18 23:12
第一次大戦の戦場にも謎の「白い騎士団」が出現したとか。

小銃、大砲、戦車の時代に、突如時代遅れの白い鎧兜、白い馬の騎士の集団が戦場に現れ、陣地に向かって音もなく進撃してくる。

狼狽した兵士たちは一斉に機関銃、大砲を撃ちまくるが、その白い騎士団は誰一人倒れる様子もない。

音もなく、ゆっくりと、確実にこちらに迫ってくる。

恐怖を感じた兵士は武器を捨てて一目散に逃げ出したとさ。

なんで「白い」んだろうか。

(了)

儀式

ばあちゃんちが西日本の日本海側近くの山村集落にあるんだが、

15歳の時によくわからん儀式みたいなのをやらされたな。

田舎の山全体が墓っていう墓地の作りわかるかな。

うちの家が頂上だから本家なんだろうね、山の麓に地蔵が並んでて

うちの墓までの道の途中で分家の墓が枝分かれして点在してる。

ばあちゃんちのすぐ上に神社があって、雷で倒れたらしい巨木の残骸があるんだ。

残骸っていっても直径二メートルぐらいの切り株の外側だけ残っている感じ。

中は空洞で巨木の枠組みだけがあって普段は鎖で囲ってある。

15歳になって盆に帰省した時、夜中2時ぐらいに一人で行灯もって神社に行かされる。

ちなみに家の父が長男で俺がその長男な。

三人兄弟だがその年だけ弟は母方の祖父に預けて俺だけ帰省した。

神社にいくと、切り株の中に昼間用意されて縛られた赤ちゃんの猪と

馬形って呼ばれてる石の短剣が置いてある。

その短剣でウリボー刺し殺して神社の上にある墓まで引き摺っていく。

途中で全ての地蔵と分家の墓の前まで引き摺って歩きながら家の墓まで行く。

墓って行ってもたくさんずらっと並んでいて、ただの石だけの墓石もある。

その一番奥に猪置いて、墓の灯籠に火を灯して帰ってくる。

帰ってきた俺に対して、ばあちゃんじいちゃんと親は何もなかったように接する。

一切何も聞いてこないし、事前に帰ったら何も話すなと言われている。

俺、当時荒れてたDQNだったんだがこれは洒落にならんぐらい怖かったな。

泣きながらしし引き摺ってたと思う。

いまだに何の儀式かわからんが、俺に子供ができたらうちの親父がやらせるんだと思う。

余談だが俺は未婚。

結婚しないことにばあちゃん異常に拘るんだよな。

帰省する度に見合い話持ってくるから最近は憂鬱で仕方ない。

田舎って怖いとこだ。

よしゆき様

うちの地域では俺の母親が子供の頃あたりまで

男の子でも女の子でも3~4歳くらいになると必ずあやとりを覚えさせられた。

技は一種類だけで「蛾」と呼ばれるもの。

これはけっこう複雑な取りかたをするが

素早くできるようになるまで何度もくり返し練習させられたそうだ。

今は産業としては成り立たなくなっているが、ここいらは昔は養蚕が盛んで

集落の裏の山(四百mほど)のなかほどに「蚕霊塔」と呼ばれる供養塔がある。

こういう供養塔は明治以降、製紙工場の近くに作られたのが多いが

裏山のはかなり古い時代のものらしい。

この山一帯には「ヨシユキ様」という妖異が棲んでいて

それは大きなカイコガの姿をしているという。

ただし普通の人間の目には見えない。

この山に子どもが入るときには必ず一本の紐を持たせられる。

母親の場合は白い毛糸の紐で、わざと切れやすいように傷がつけてある。

なぜそんなことをするかと言えば

山中では「ヨシユキ様」に祟られることがある。

背中に重しがのったようになってかたわらの藪に突っ伏してしまうことがあったら

それは「ヨシユキ様」が後ろにのっているせいだという。

こうなるともう声もたてられない。

ばさばさというはばたきの音が聞こえてきてだんだんと気が遠くなっていく。

そうなったら意識があるうちに素早くあやを取って蛾をつくる。

その形のまま力を込めてプツンと紐を切ると「ヨシユキ様」は離れていくらしい。

子どもだけの場合は、これ以外に逃れる方法はなく

寒い季節だと藪の中で発見されずに死んでしまう例もあったという。

この「ヨシユキ様」というのは、郷土史などでは南北朝の頃の南朝の皇子で

戦乱の際に自害した悲運の皇族と書かれている。

それが妖異となって山中をさまよっているということらしいが

その方がなぜカイコガの姿とされているのかはよくわかっていない。

おそらく歴史の中で埋もれた話があるのだと思われる。

私の家の奇妙な風習

2017年01月19日 16:40

私の家には奇妙な風習がありまして、何故かよく宴会を墓場でやることがあります。

墓場は自宅の裏山にあり、基本的に私の家系の墓しかありません。

唯一近くにあるのは道祖神さんの碑があるだけでして、

周囲には桜や柊、榊の木が植えてあり、春には花見などを行うのか慣例になっています。

私の奇妙な体験は、私が高校生に入学したての頃でした。

自宅からかなりの距離にあり、電車と自転車を乗り継いで帰宅する頃には、すっかり日が落ちているのが基本でした。

もう桜も終わりの頃でしたが、山間にある自宅のまわりはまだ気温が低く、桜の花も満開に近い咲き方をしていました。

その日は曇りだったのか、月明かりがほとんど無い夜でした。

なのにはっきりと、桜の花だけは綺麗に見えていたのを覚えています。

新しい学校に入って間もなかったため、夜道に慣れていなかった私は、

ところどころにある街灯を頼りに自転車を漕いでいました。

十分に道は知り尽くしているし、問題もない。

そう思っていたのですが、慣れない道は時間ばかりが過ぎていってしまうように感じられて仕方ありませんでした。

かれこれどのくらいこうしているのやら……

普段なら30分くらいで着くはずなのに、一向にたどり着けません。まだ山道に入って半分も行っていない。

街灯の明かりを見つけ、その下で自転車を降りて少し息をつくことにした私は、何気なく自分の腕時計をのぞいてみました。

ところが、デジタル式の時計の表示板には何も映っていなかったのです。

私は首を傾げました。たしか、電車の駅で見たときには正常に動いていた筈なのですが……。

気味が悪くなり、自宅への道を急ごうと自転車に跨りました。

そして再び山道を登り始めたのですが、不思議な事に、それから進んでも進んでも自宅にたどり着けないのです。

道はよく見知った山道。

しかもほとんど一本道で、迷うわけが無いと言うのに、どうしてか自宅の明かりすら見えないのです。

これはどうにもおかしいと感じながらも進み続けたのですが、結局自宅にたどり着けず、

途中の街灯の下で再び小休止することにしました。

そこにはたまたま大きな桜の木があり、街頭の光をうけて一際白く輝いていました。

自転車を降りて深呼吸し、時計を再び覗き込んでみたのですが、やはり表示板にはなにも映らず、

途方にくれていたその時でした。

風は無かったのですが、枝がさざめくような音がしてきたのです。

その音は次第に大きくなり、風も無い、枝も揺れてなどいないというのに、周り中から聞こえてきだしたのです。

正真正銘気味の悪くなった私は、急いで自転車を漕ぎ始めました。

しかし、さざめきは遠ざかるどころか次第に近くなり、しまいには耳のすぐ傍で聞こえてくるようになっていました。

私にはその時の音が何かの笑い声のようにも聞こえたので、さらに気味が悪くなり、必死で自転車を漕ぎ続けました。

ですが、その直後。不可解な事に、私は急ブレーキをかけてしまったのです。

私自身はかけたつもりは無かったのですが、そのためにバランスを崩し派手に転んでしまいました。

擦り傷と打撲の痛みよりも、耳元でやかましく鳴るさざめきのほうが気味が悪く、私は思わず耳を塞いでしまいました。

ですが、さざめきは耳を塞いだと言うのに、耳のすぐ傍で鳴っているようにやかましく、

気が狂いそうなくらいの音量で鳴り続けました。

どのくらい時間がたったのか。

何時の間にか意識が飛んでいた私は、もうさざめきは聞こえませんでした。

いつものように静かな夜の中で、目の前には桜や柊、榊の木が立っている風景でした。

私はどこをどうしたのか、自宅ではなく墓場の中で、墓石に寄りかかるように眠っていたのでした。

次第に鮮明になる意識とともに、私は慌てて手を合わせて、墓石に寄りかかって眠っていた非礼を詫び、

自宅への帰路に着きました。

そして、今度は数分もかからずに到着できたのです。

自宅で祖父母にその話をすると、大笑いされ「狸にでも化かされたんじゃろ」と言われてしまいました。

しかし、なんで墓場で眠っていたのか…いまだにそれだけは理解できません。

以後、このときのようなことはありませんでしたが、

山道で狸を見かけると、どうにも苦手で避けてしまうようになりました。

ほうりもん

ほうりもん

2017年02月04日 17:25

去年の盆前くらいに祖父が他界したとき(祖母は五年位前に他界)に、変な話を聞いた。

実家で通夜をやるので帰郷したんだが、

その夜に喪主でもある叔父さんと昔話の流れで、近所の子供が死んだ時の話が出た。

俺が小学校の時なんで、その子がどんな死に方をしたとかは全然憶えていなくて、

かろうじてそんな事もあったな~という感覚。

でも叔父さんの子供の頃に、近所で全く同じ死に方をした子供がいたらしくて、

その時の事を今でも時々思い出すと言ってた。

で、その死に方なんだが、手足が千切れて失血死なんだと。

「それ殺人じゃないの?」って聞いたんだけど、

結局犯人も見つからないし、文字通り手足が『千切れてる』から、

とても人間の仕業じゃない、野性の動物かなんかにやられたんだろう、って事で決着がついたらしい。

そんな動物いるのかなと思って首をひねってたら、

叔父さんが昔聞いた、同じ死に方をした子供の話もしてくれた。

叔父さんが小学校に入る前くらいの頃、この辺りはすごいど田舎だったらしく、田んぼの中に家々が並んでるような所だった。

でも、そういう農家の連中とは別に、何やってるんだか分からないような連中の家もあったらしい。

祖父や祖母はそういう家の人達を、『ほうりもん』って言ってたそうだ。

叔父さんはまだ子供だったし、ただでさえ人の少ない所だったから、そういう家の子供ともたまに遊んでたんだけど、

そうするときまって祖父や祖母は叔父さんに、「あそこの子供とは遊ぶな」と怒られたらしい。

叔父さんもどんな意味かは知らないそうだが、

そういう家の見分け方として、軒先に小さい三角形の紙を吊るしてあったんだと。

だから、あまりそういう家の子供と遊ぶのは嫌だったと言ってた。

で、叔父さんが小学校の高学年くらいの時に、そういう家の女の子が件の死に方で亡くなった。

それからしばらくその辺りに住んでる家の大人が、毎日集まって夜中まで帰ってこない日が続いたらしい。

外に出て遊ぶ子供も居なくなっちゃって、叔父さんも祖父や祖母に「暫く外には行くな」って言われたそうだ。

(何回か黙って外行ってたらしいが)

結局、何日かすると、祖父や祖母が夜中まで帰ってこないような事は無くなったけど、

例のほうりもんの家の人たちが、少しずつ変な行動をするようになった。

叔父さんの話だと、

子供が外で遊んでいると、常に遠巻きに見つめる。

いくつかの田んぼに鶏の足?みたいなのが捨てられる。

家の前の土が掘じくり返される。

ってな事があったらしい。

そんな事があって、近隣の空気が暫くピリピリしてたある日、近所の子供(叔父さんの友達)が重い病気になったそうだ。

初めは体が痛い痛いと泣くだけだったが、その内だんだん手足が曲がってきて、とても見てられないぐらいになったらしい。

医者の診断では、「おそらくリウマチだろう。でも、こんなに酷いのは今まで見た事無い」と言ってたそうだ。

すると、また近所の大人達が夜に帰ってこなくなった。

どうも叔父さんの友達の病気は、あのほうりもんの家の人達が原因と、祖父や祖母たちは考えていたらしい。

そんな事が続いた後、ほうりもんの家の人達は近辺から姿を消してしまって、

あの友達も結局その後すぐ死んでしまったそうだ。

叔父さんの話はそこで終わり。

俺はこの話聞いて気分悪かったんだけど、叔父さんが複雑な表情してたから、なんか黙ってるしかなかった。

結局それ以上の話は聞けなかったし、

そんな強烈な事件が近くであったのに、ほとんど憶えてないのもいまいち腑に落ちないんだよな。

なんとなく変な感じはするんだけど、よく分からなくて気持ち悪かった。

おじろく・おばさ

長男以外の人間は、結婚もできず、世間との交流すら許されない。

死ぬまで、家のため、奴隷のようにこきつかわれる……

実はこれ、わが国日本に二十世紀まで実在した

『おじろく・おばさ』という因習である。

国土の七割が山である日本。

山林によって隔絶された村では、独自の文化が発生する場合が多い。

長野県の南部、飯田のあたりは、高山の多い信州の中でも特に山深いところである。

平地といえるような土地はほとんどなく、ろくな道すらないのだが、そんなところにも古くから人は住んでいる。

天竜川に沿ってぽつぽつと小さな集落がいくつか点在している。

旧長野県神原村(現下伊那郡天龍村神原)もその一つだ。

耕地面積が少ないこの村では、家長となる長男より下の子供を養う余裕がない。

なんとかして人口を制限をしなければ共倒れになってしまう。

そこで、この村の人々は奇妙な人口制限法を考えたのである。

まず、一家のうち長男だけが家督を相続し、結婚して社会生活を営む。

次男以下と女の子は、他家に養子になったり嫁いだりしないかぎり結婚を許されず、世間との交際を禁じられ、生涯戸主のために無報酬で働くのである。

この村では、こうした制度が十六~十七世紀ごろから何百年も続いていたという。

こうした男は『おじろく』、女は『おばさ』と呼ばれ、家庭内の地位は戸主の妻子以下、戸籍簿には『厄介』と記され、村人と交際もせず、村祭りにも出られなかった。

こうしたおじろく、おばさは結婚もせず、近所の人と交際することもなく、話しかけても返事もしないが、家族のためによく働いて不平も言わなかったという。

怒ることも笑うこともなく、無愛想で趣味もない。

親たちも、長男以外はおじろくとして育てるのが当然だと考えていたので、別にかわいそうに思うこともなかった。

掟に反抗して村を出る者がいなかったかというと、おじろくが村を出ることは非常に悪いことで家の掟にそむくことだ、という考えがあったため、村を出ようと思う者はほとんどなく、まれに出る者があっても人付き合いがうまくできず、すぐに戻ってきたようだ。

十六~十七世紀頃から始まったとされる『おじろく・おばさ』制度だが、もちろん現在の神原では、このような制度は存在しない。

明治五年には人口二千人の村に一九〇人、昭和四〇年代に入って三人の『おじろく・おばさ』が生きていたという。

この辺りの状況を報告しているのが、『精神医学』1964年6月号に掲載された近藤廉治のレポートである。

近藤は、現存していた男二人、女一人の『おじろく・おばさ』を取材し、彼らの精神状態を診断している。

普段の彼らにいくら話しかけても無視されるため、催眠鎮静剤であるアミタールを投与して面接を行った。

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